ごろにゃ~の手帳(備忘録)

備忘録的ブログ。経営やマネジメント、IT、資産運用、健康管理などについて書き留めてます。

ビジネス上で使われる、「信頼」「信用」という言葉

ビジネス上で使われる、人に対する“信頼”とは、モノの品質・性能の評価と等しい。
つまり、「『トヨタのエンジンは壊れない』という品質・性能が、間違いなく発揮されると信頼する」ことである。

「何回もミスしたら、信頼して仕事を任せられない(頼れない)だろう!」という上司の言葉は、仕事のアウトプットの品質に対する評価なのだ。


部下を持つ上司の心構えとして「信頼しても、信用するな」と言われる。
これは、部下の言った情報を正しいと受け入れ、チェックもしないことがあってはならないという戒めから言われる。


「お前は信用できない」と言われたらショックだろう。しかし、この心構えの「信用」の対象は、人間性を対象としているのではなく、部下が言った情報そのもののを対象としている。
(仮に、自分の存在を脅かすような部下であれば、「仕事は任せても、いつ裏切るかもわからないので、信用せず気をつけろ」という意味になるかもしれないが・・・。)


仕事上の情報という小さなことではなく、人間そのものを対象としたとき、「信用する」は「嘘偽りがなく、組織もしくは自分を裏切らない」と思うことだ。


嘘偽りがなく裏切らないかどうかは、性格・考え方・生き様、過去の具体的な事実の積み上などの情報から判断する。


あまり「あいつは信用できる」という言葉は聞かないが、「あいつは信用できない」という言葉を聞くのは、ほとんどの人は「嘘偽りがなく、裏切らない」からで、当たり前のことだからだろう。ある人に対する判断材料としての情報を持つ人が、持たない人に対して、「彼は信用できるよ」と評価するときにのみ、「信用できる」と使う。
「信用」は、一緒に仕事をするうえで必要な基本的な要素で、この要素を満たさない人に対して警戒心を込めて「あいつは信用できない」と言うのだ。





では「信じる」とはどういうことか。


少し哲学的な説明になるが、
「信じる」ことと「知る」こととは対立する。

ある人が言ったことが、「信じ」られるか「疑い」を晴らすためには、
本当かどうかを「知る」必要がある。チェックする必要がある。


しかし、「信じる」のであれば、「知る」必要はない。


本当のことを「知る」ことになれば、「信」「疑」もなくなり、
そこには事実が残る。


「信じる」ということは「無知」の状態であることになる。
「信じる」ということは、ある人が言ったことを真実として受け入れることだ。


「信じる」とは、
「あの人の言うことなら(言ったことが本当かどうかを確かめる必要はなく)真実だ」と思うことだ。

恋人である女性が「あなたのこと、信じてる」という言葉には、「事実を確かめ、真実を知ることをせずに、真実として受け入れるわ」という意味がある。


しかし、これが行き過ぎると「ある人が言ったことの全て真実」という“盲信”という状態になる。

神の存在を証明しようとすることはない。
「神」は「信じる」状況において、成立するのだ。


「あなたーわーー、かみ、おー、しんじまーすかぁ」
とは、あなたは「知ろうとすることをやめる」か?ということだ。


「信頼する」「信用する」「信じる」は、なんとなく似ているが、それぞれの持つ意味は違う。