論理学においては論理を形成するものは基本的に2つしかありません。帰納法と演繹法というものです(論理学には命題論理や弁証法的論理など他にも論理方法は多数ありますが一般的ではないので除きます)。
−帰納法とは−
帰納法というのは、観察事象を集めて何かを言いたい時に使います。
例えば、
事象1:Aさんは70歳で亡くなった
事象2:Bさんは80歳で亡くなった
事象3:Cさんは85歳で亡くなった
結論:人は必ず死ぬ
帰納法は事実をいくつか観察し、その共通項から言いたいことを導き出す方法です。これは日常生活でもよく使う論理ですね。次に演繹法です。
−演繹法とは−
演繹法は三段論法と昔からいわれているもので、まず一般的な大前提があって、次に自分が観察した事実を述べ、最後に結論を出す方法です。言葉で書くと難しいので、これも例を見たほうが早いです。
前提:人は必ず死ぬ(=上記帰納法での結論)
前提:ソクラテスは人間だ
結論:ソクラテスは必ず死ぬ
人は帰納法と演繹法をうまく組み合わせながら論理的にコミュニケーションをしています。上記例では、まず帰納法で「人は必ず死ぬ」ということを説明し、次にそれを前提として、演繹法により「ソクラテスは必ず死ぬ」という結論を導き出している訳です。
簡単に帰納法と演繹法の説明をしましたが、この帰納法にしても演繹法もいい加減に使うと論理が成り立たない場合が結構あるため注意が必要です。
−帰納法のよくあるミス−
例えば、帰納法において次のような例は論理が成り立ってるでしょうか?
事象1:社員のAさんは会社が大好きである
事象2:社員のBさんは会社が大好きである
事象3:社員のCさんは会社が大好きである
結 論:わが社の社員は愛社精神旺盛である
この論理一見正しそうに思え、よく使う人もいると思いますが、会社が嫌いだというDさんの存在が確認された時点で成り立たなくなります。会社が嫌いな人がいるかどうかはその会社次第ですが、一般的に考えると存在しそうですよね。
つまり、帰納法とは確率論の話であり、あくまで仮説にしかすぎません。従って、論理が成り立つかどうかは、どこまで聞く側の納得性が得られるかにかかっています。要は、Dさんの存在を感じるかどうか、それによって、この論理は正しくも感じられるし間違いと感じることもできるのです。
先ほどの「人は死ぬ」という例は、死なない人なんている訳ない!という常識から正しいと思うのです。もし、インドの聖人?など今後死なない人がでてきたらとしたら、この論理も正しくなくなります。
−演繹法のよくあるミス−
前提1:魚は水中を泳ぐ
前提2:クジラは魚である
結 論:クジラは水中を泳ぐ
この例はおかしいのはすぐにわかると思います。問題は前提2です。クジラは魚でなく哺乳類ですね。よって前提2は成り立っていないため、全体の論理はおかしくなります。
しかし意外とこういった間違った論理で話すことは多いのです。なぜそうかといえば、最後の結論が正しいからです。途中の論理がいい加減でも、結論が間違ってないと、正しいのでは?と話している本人も聞く側も思い込んでしまうケースが多々あります。でもその時は何かすっきりしないで、しばらくたって考えてみるとやっぱりおかしいとなる訳です。こういう経験はよくありませんか?
演繹法は立てた前提が正しくないと論理が成り立ちません。「人は死ぬ」も死なない人が出てくれば、演繹法の前提が狂ってしまうため、「ソクラテスは死ぬ」とはならない訳です。