ごろにゃ~の手帳(備忘録)

備忘録的ブログ。経営やマネジメント、IT、資産運用、健康管理などについて書き留めてます。

「特別な時間と空間」の演出 玄関

「地下鉄・地下街直結」の商業施設が増えることは、見えにくい部分で、マイナスの影響ももたらす。「施設の全体像」を目にする機会が少なくなることで、施設のブランド価値がじりじりと減ることだ。

 例えば本を読むとき、私たちは表紙を眺め、目次に目を通し、中身を読む。部分的な拾い読みであっても、著作の全体増や著者名は常に意識している。一方、インターネットで文書を読むときは、検索でひっかかった文章だけをピンポイントで読むことが多いのではないか。書き手の姿勢や、送り手が当該の文章に与えた位置付けなどは二の次になる。

■「ここに来たぞ」との思い薄れる

 商業施設の利用もそれに似ていないか。地下の入り口からスルリと入り、目的の売り場に直行する。店や街の全体像は意識されない。合理的だ。しかし店舗側にとっては、いささか寂しい話だ。消費者の側にとっても、ある施設が提供する文化の総体に触れる機会を逸しかねない。

 例えば東京ディズニーランドを思い出したい。チケットを買い、入場し、商店街に相当する部分を抜け、広場の向こうにシンデレラ城が目に入る。「ついにまた来たぞ」という高揚感をここで感じるわけだ。

 仮の話だが、隣接する駐車場から地下道を作り、何かの人気アトラクションの裏手にひょっこり出られる入り口があったとしたら? 確実に便利だ。無駄も減る。しかし、あの「正面入り口」の高揚感は得られない。財布のヒモの緩み具合も変わるだろう。

百貨店も似ている。豪壮な玄関、礼儀正しく迎える案内カウンターやエレベーターのスタッフ。そうした仕掛けが醸し出す「特別感」は、出入りが便利になるにつれ、目減りしていく。単なる「便利なだけの店」では、ディズニーランドのお土産のような目的外の買い物は起こりにくい。


改築した歌舞伎座。地下鉄利用者も、いったん写真右端の出入り口から外に出て、同左端の玄関まで外を歩く構造をあえて採用した
 思慮深い建築家は、すでにそのことに気づいている。先ごろ全面建て替えが終わった東京・銀座の「歌舞伎座」がそれだ。

 以前とは違い、地下鉄改札を出た地下街から、そのまま段差もなく地下の売店が並ぶ地下の広場に入れる。珍しい菓子や弁当などが並び、和服の女性たちでにぎわう。いま東京でもっとも「粋」な商業施設と言えるかもしれない。しかし、ここから歌舞伎の公演を見るため移動しようと思うと、いったんエスカレーターを上がり、地上に出なければいけない。建物正面に沿ってしばらく歩き、以前同様、街に面した正面玄関から入るのだ。ひさしがあるので多少の雨ならぬれずに済む。しかし、ふつうに考えれば、内部だけで移動できるほうが快適だろう。

■特別な空間でストローから逃げる

 日経ビジネスオンラインで、設計した建築家の隈研吾さんが、狙いをこう語っている。「不便じゃないか、という声もありますが、やっぱり正面玄関を通っていただきたかったんですよ。直接つないじゃうと、祝祭性が薄くなるので、ここは観客の方に歩いていただこうと」

 駅も、百貨店も、映画館や劇場も、かつては堂々たる正面玄関を持つ特別な空間だった。いま、たとえばショッピングモールに入居する映画館は「映画コーナー」であり、「館」ではない。地下街や駅とつながる商業施設も、便利になる代わりに、表紙のない本のようになった。知らぬ間に施設に入り、知らぬ間に退出する。お気に入りの「ショップ」があっても、その店が入居している駅ビルやモールなどの「施設名」を即答できない人にもときどき会う。

 便利さだけをひたすら追求するか、新たな「特別な時間と空間」の演出方法を見いだすか。地方に続き、これから大都市でも人口減と高齢化、移動や消費の減少が本格的に始まる。ストロー効果でスキップされるかもしれない街や店ほど、この課題に今後、真剣に取り組む必要が生じるのではないか。